貰った薬が合ってるみたいで、5日目くらいで中途覚醒なし・早朝覚醒なしの前の時間帯に寝起きできるようになってきた。精神に作用するほどではない少量の向精神薬だけど、すし屋ですしを選ぶこともできました。以前はすし屋言っても「メニューが……多すぎる……」となってしまい、どうにもならず一緒に行った母に選んで貰ってたので。
ただ毎食おやつみたいな量しか食べられなかったが、1食は食べられるけど、そしたら1日食べられない、になった。あとSNSも結構見られるようになったぞ。
カウンセリングの見立てが終わった
初回90分、2回目50分使って今日見立てを聞いてきた。
それで、PTSDというよりもバウンダリー(境界線)に問題があるんじゃないかという話で、正直「嘘やろ……」である。我ながらマイペースで、人に対して期待してないし、飲み会とかも断れるし、人は人・自分は自分ができていたと思っていたのに。
バウンダリーはオタク向けに説明すると、ATフィールドである。詳しくは三森みささんの漫画のこのへんを読め。
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自分は高校生のときに大きめの交通事故にあって、軽い脳挫傷と顔面複雑骨折をきめていて、いまも上顎の神経が鈍い。目が覚めたら病院だったのであてられたときのことは覚えていないが、どうやら交通事故などの強烈な物理攻撃で、バウンダリーが破壊されたり弱くなったりするらしい。
事故のことを覚えてないのも、のちのちの精神に影響する大イベントとのこと。
バウンダリーが弱くなってるか、壊れてるかで、自分が怒鳴られているわけじゃないのに、苦しくなっていたのではと言われた。
バウンダリーの強度の話を聞いて、たしかに、小さい頃NOが言えないこどもで、友だちに「いいな〜」て言われたものをプレゼントして、親が気付いたときには自分の持ち物がない、ということがあったりした。らしい。もともと境界線が弱くて、他者の侵入を拒めず頼まれたらやる子供だった。
たしかに委員長とかよくやってた。やりたかったわけじゃなくて、クラスの誰もやらなくて「じゃあ、この時間無駄だし自分が手をあげてしまうか」という感じで……。
それと、親との関係も言われた。親との関係は良好だと思っていた(クソ貧乏なので実家のスネ齧ってる以外は)のでこれも意外だった。
母の足が悪うえ、兄弟3人なので「自分があれこれやらなきゃ」という環境に置かれていたと思う、と先生に言われた。
あまり長女らしいことをしてこなかったので「そうかな」と思ったが、あとで母に聞いたら「いや、あんたは昔から手がかからなかったよ」とのこと。母の足が悪くて、妹弟に手間がかかるから、かからないように自分でできることは自分でするのが早かったらしい。へー。
あと中学より前のことを全然覚えてなくて、自分が昔のことを話すとき「だったと思う」「みたいです」を多様するし、自覚があるんだけど、やっぱりそれは離脱だった。
母が怒ると説教は長いし関西弁になるし怒鳴るので、無……、となり、それが行き過ぎて中学のとき1年くらい家庭内勘当されていた*1んだけど、それも母に言ったら「たしかに。ばあちゃんがあんたをかわいがってたのって、うるさくないし、静かにしてて、おにんぎょうさんだったからだよ」と言われた。
そういう、無……、の時間が長かったから記憶が薄いので、それについては納得できてよかった。
無意識に沈んだものを、沈んだままなんとかしてくれるのが心理療法なので、すげーな……と思うのと、なるほどこれはスピって言われるのも無理ないかー、という気持ち。お話しを聞くだけじゃなくて、精神が楽になる物理的な方法を施してくれるので、自分には合ってる。
世の中には話を聞くだけのカウンセラーもいっぱいいるんだけど、自分は「悩みと解決方法はおおむね自明」「嫌なことは人に話しても嫌なままだし、やりたくないことはできない(しかし問題を解決するにはやらねばならないのでどうすれば)」という思想なので、話聞くだけのカウンセラーだったら行かなくなってたと思う。心理療法ありがとう。
カウンセリングは今後も続きます。
祖父がそろそろ危ない
んだけど、カウンセラーの見立て書いたら今回はいいかという文字量になったので、次回にします。
*1:母はこれを反抗期だと思っていて、わたしが謝らないから母から「もういいよ」と言われて和解した。わたしとしては自分が悪いことしてないので、何を謝ればいいのかようわからんかったんだと思う。いまは母も、私の反応が無だったからキレた、て言ってる。